Home > 街角の風景 > 釜山広域市西区 > 峨媚洞 >
峨媚共同墓地の痕跡2
峨媚共同墓地の痕跡の続編です。
朝鮮戦争の被害を避けるため多くの難民が
釜山に集まってきました。平野はすぐいっぱいになり、山の急斜面や
墓地くらしか残った空間はありません。釜山市西区峨媚洞2街は共同墓地に出来た
住宅街です。
(2010/05撮影)
家の土台や階段、塀などすべて墓石です。
峨媚洞の斜面の狭い路地を歩くとこのような
例に出会います。狭い土地に墓碑を建材として使ったバラック
の家が並びました。(2010/05撮影)
階段に使われている墓石
(2010/05撮影)
石垣の一部に使われているのもあちこちで
見ることが出来ます。(2010/05撮影)
子供達が無邪気に遊ぶ後ろの石垣にも
墓石の文字を見ることが出来ます。(2010/05撮影)
ここにも
(2010/05撮影)
刻まれた文字は薄くなっていますが
はっきりと読み取ることができます。(2010/05撮影)
ここは墓の囲いをそのまま利用して家を
建てたようです。似たような例は多数あります。
ほとんどはコンクリートを塗って判らない
ようにしていますが注意深く観察すれば
見分けることができます。(2010/05撮影)
中央にあった墓石は邪魔なので外に
放置したり、その他の建材として利用
されています。戦争という非常事態がこのような状態に
追い込んだのであって、韓国人が好んで
やっているのでは無いことをご理解下さい。(2010/05撮影)
Home . 釜山の基本情報 . 人物 . 歴史 . 乗り物 . 交通史 . 名所・旧跡 . 釜山の街角風景 . 街角風景2
. 釜山の街角今昔 . 街角今昔2 . 食べた物 . 昔の生活と文化 . 近代史年号 . 釜山近代史年表