昔の海岸散歩
明治の初めまでごろまで このような海岸だった
釜山は埋立られて しだいに大きな街になって
行きます。ここの船溜まりの後ろ付近の黒い部分が河岸段丘
になっていて 現在は 階段になっています。
朝鮮戦争(韓国戦争)当時 各地から避難民が
釜山に集まりました。石段の段が40あるので「40階段」と呼ばれ
難民が集まり、釜山の復興の記念公園になっています。
新たに 螺旋階段に作りかえられた階段
上の階段の40-50mほど北にあります。この階段を登ると正面に40階段文化館が
あります。無料なので 朝鮮戦争当時の
釜山の様子を気楽に見学できます。
新たに 螺旋階段に作りかえられた階段
上の階段の40-50mほど北にあります。昔の河岸段丘に沿って階段が並んでいる
様子が分かります。
さらに 50mほど行くと 別の階段があります。
ここは 瀛州洞です。
埋立で土地が数倍に増え 港湾設備などを
充実させてから日本が帰ったので 釜山は
丸儲けですねと 韓国の人と話をしたら すぐ
日本人は米を奪ったからマイナスで搾取だと
韓国人らしい反論が戻ってきたので微笑んで
議論を止めました。彼は勝ったと思ったのでしょう(笑)
ここは草梁です。
当時の海岸を階段の列で確認しながらの
散歩も良いものです。
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