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浅海琴さんについて教えて下さい。 
ぎんこ 3/2(金) 15:43:50 No.20120303143055 返信 削除
はじめまして。今、明治時代の女医について調べています。
ひょんなことから、このHPを発見し、浅海コトさんの医院について書いてあるので、驚きました。私は、浅海さんが柳井の人で、釜山に渡って開業したことしか知りません。
もし、詳しい伝記や記事があるようでしたら、教えて頂けないでしょうか。
それにしても「釜山最古参の女医として信頼されていた」という記事は嬉しいです。

1.  けい     3/3(土) 09:35:06 No.20120303143055-1 削除
浅海医院の資料は「釜山名士録」(昭和10年)からです。
下記の2点は載せなかったので書いておきます。
山口県玖珂郡柳井町492番地生まれ、医籍:第2456号

詳しい伝記は見たことありません。

柳井は良い町ですね、昔の街並みが残り、保存に力をいれて
居る様子が感じられます。
柳井に本店があった周防銀行も釜山に支店があり、柳井の
商人たちのバックアアップをしたようです。


2.  ぎんこ     3/3(土) 14:30:55 No.20120303143055-2 削除
お返事をありがとうございました。
柳井は、明治時代には海運業が盛んだったということなので、その縁で、浅海琴さんは釜山で開業されたのかもしれませんね。

私の知る限りでは、釜山に渡られた女医さんは、浅海琴さん以前にはいないように思います。初めて釜山に渡った日本人女医が、地元の名士となり、少なくとも昭和10年までは医者として働いていらしたのですね。足跡が少しでもわかり、嬉しく思いました。ありがとうございました。

無題 
だいあ 3/2(金) 00:40:57 No.20120302111856 返信 削除
宇太郎さんの両親は、七條藤平、ハルです。
長男(兄)は、四代目嘉太郎です。義父のメモによると元治元年とありますのでその年の生まれだと思われます。
加賀屋藤兵衛とありましたので、”加賀藤”の屋号になったものと思われます。

1.  けい     3/2(金) 11:18:56 No.20120302111856-1 削除
ご指導有難うございます。
加賀屋藤兵衛が「加賀藤」の屋号で店を初め、4代目が七條嘉太郎ですか?
宇太郎が養子に行った加藤家は高松にあるのですか?宇太郎の
息子(俊次)は内地の親戚に預けて小学校を出したと聞いています。
加賀藤の建物は公共に出したと書いてありましたが文化財として
公開されているのですか?そうなら機会を見て訪ねてみたいです。

無題 
だいあ 2/27(月) 21:14:28 No.20120301173827 返信 削除
管理人さん はじめまして
昨日、偶然こちらを見つけ、驚くべき出会いがありました。
私は香川県高松市に住んでいる者ですが、嫁ぎ先は戦前、海鮮問屋を営んでおり、三代前は”加賀藤”の名で大きな商いをしておりました。一昨日、”加賀藤本店運動会”の古い写真を見つけ、加賀藤の事がまた気になり検索をかけると偶然こちらにたどり着きました。塩谷町ではなく塩屋町なのですが、戦時中も軍需の物資を供給することにより繫栄したと聞いておりますので、あまりの偶然にびっくりしてしまいました。ただ、苗字が違うので、どうしたものかと思っておりましたが、生前、義父からメモ書きで頂いていたものの中に、“宇太郎(加藤)”の文字を見つけ、養子により名前が変わったものと理解しました。三代前の、二男さんだろうと思われます。昨日、お墓にお参りしてきた後だったので本当に不思議で、巡り合わせて下さったものと感謝しております。長男の本家の方も終戦後は凋落し、大きかった屋敷も公共のための提供を余儀なくされ、繁栄していた時代は昔話となってしまいました。でも、本当によかったです。三代前の先祖を見つけられて。
本当にありがとうございました。

1.  けい     3/1(木) 17:38:27 No.20120301173827-1 削除
だいあさん こんにちは 始めまして
ご指摘有難うございます塩谷町ではなく塩屋町が正しいのですね
直しておきます。
加藤宇太郎は釜山の海産物の豪商で大きな店舗を構えていました。
加藤商店では屋号が「加賀藤」なのは 兄弟でやっていた屋号を
釜山と高松の両方で使っていたのですね、今 分かりました。
加藤宇太郎のご両親の名前と長男の名前を教えていただけませんか

教えてください。 
olive 2/19(日) 14:58:41 No.20120225162851 返信 削除
私の祖父家族と祖父の兄家族は終戦まで馬山府新町で「濱鶴」という造り酒屋を営んでおりました。終戦により日本へ引き揚げてきましたが、父や叔母は現地の小学校へ通っておりました。
既に父は亡くなり、叔母も歳をとり、あの世へ行くまでには一度でよいから現地を訪れたいと言っておりますが、住居表示が何度か変わっており、詳細がわからないのが現状であります。
色々と検索しているとここへ辿り着きました。もし、お判りであればお教え願いないかと思いメールを送りました。よろしくお願いします。

1.  けい     2/23(木) 12:38:10 No.20120225162851-1 削除
釜山なら詳しくご説明できますが・・・馬山は簡単な調査だけ
を一人でやっているのでほとんど分かりません。
馬山府新町は蒙古井戸から浄水場の下付近までの地域だと思い
ますが・・住居表示や境界も変わっているので不明です。

お役に立てなくて申し訳ありません。


2.  olive     2/25(土) 16:28:51 No.20120225162851-2 削除
早速お返事頂きありがとうございました。
手がかりを頂いたので、参考に調べてみます。
感謝いたしております。

Keiさん、お久しぶりです。 
Yoshi 2/9(木) 22:26:28 No.20120211002731 返信 削除
ケイさん、お久しぶりです。

福岡のヨシです。

http://blog.goo.ne.jp/yoshi1963jp/e/e692b665d3b2b145dfab042a1ef34e2c

参考になるかもしれないので、紹介しておきます。

もうしばらく寒い日が続きそうですが、ご自愛ください。
それではまた。

1.  けい     2/10(金) 09:53:30 No.20120211002731-1 削除
こんにちは おひさです。
福岡も寒くなりましたね、風邪などひかないようにお互い
がんばりましょう。

この建物は戦前 水晶町の総代で府会議員だった「小原為」の
住宅でした。彼は東京鐵道学校を卒業後渡鮮、統監府鐵道局に
勤め、副参事まで昇進し退職、その後実業界で活躍し、府会
議員や商工会議所議員も勤めました。
敗戦で手荷物だけ持って帰国をしたので、残った財産は韓国人が
いろいろ使ったようです。


2.  Yoshi     2/11(土) 00:27:31 No.20120211002731-2 削除
戦後65年以上が経過していますが、よくもまあ、
こんなにきれいな形で和風建築が残っているものですね。

公開されれば、ぜひ、足を運んでみたいと思っています。


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