力を貸して下さい! 
木津宗詮 7/26(火) 10:07:48 No.20160726100748
私は茶道武者小路千家家元教授・卜深庵木津宗詮と申します。
東莱の旧迫間房太郎別邸・現東莱別荘の日本家屋並びに庭園の設計を私の高祖父三代木津聿斎宗泉がしました。
聿斎は茶匠であるばかりでなく設計を得意とし、明治42年(1909)に房太郎からの依頼で同邸の設計をしています。また、生涯に3度朝鮮に渡り、一度は京城の朝鮮銀行副総裁水町正の屋敷の設計もしています。
ちなみに国内では奈良興福寺の茶室棟、同山田安民(Vロート製薬創業者)の棲霞園、大阪藤井寺の書院、同四天王寺本坊茶室・庭園、旧住友本邸慶沢庭園、滋賀の延暦寺庭園等、現在確認できる作としては400点余があります。
旧迫間邸は敷地面積3000坪、建坪200坪の巨大物件であり旧植民地は言うに及ばず、戦後欧米に建造された日本家屋・庭園としては最大・最古の物件となります。なお、皮肉なことですが三代聿斎の最古の現存する作例が日本ではなく韓国に存在しています。
私はかって7年前と6年前の2度同地に足を運び
実見し、写真を多く撮影しました。そして房太郎の四男武雄の妻であるセイに直接会って当時の話しや、房太郎とその家族の写真のスキャンをさせてもらいました。なお、セイは4年前に鬼籍に入っています。
6月の半ばにふとしたことからこの作品の記録を後世に残すために調査・撮影をして出版することにしました。
そして、人を介してその交渉をした結果、当初は3日間の調査ということでほぼ了解を得たのですが、最終的に3時間300万ウオンで許可をするということにになりました。破格の値段に驚愕しましたが金に代えることができません。なぜならこの8月に閉鎖して取壊すとの情報も同時にえました。そこで急遽建築家・造園家・カメラマン・編集者を募り、この21日に総勢20名(内韓国人4名)で調査に参りました。基本、交通費と宿泊費は当方で負担し、あとはボランティアという形のものでした。多くの方の支援のもと
ほぼ調査を終え、ただ今その調査結果をまとめる作業にあたり、この11月に北川フラム氏の現代企画社から上梓の予定です。
ただ、現状は建物の内部は大規模な改修が行われほぼ当初の姿を留めていません。また、日本では考えられない補修も行われています。庭園も改変されてはいるものの、3分の1ていどは当初の石組みを残していますが、植栽の手入れは長らく行われず、各所に実生で育った大きな樹木が茂りこちらも当初の姿ではなくなっています。
そこで建築当初の写真を掲載すべく、その子孫にあたりましたが、8年前に把握した住所には既に住まいしていません。世代も孫・ひ孫になっています。唯一、神戸の造り酒屋に嫁いだ次女の孫に人を介して訪ねると、朝鮮のことでは大変迷惑した。その当時のものはすべて処分したしすべて消し去ってしまった。朝鮮時代ののこととは一切関わりたくないといわれ、本当にお手上げの状態となりました。
今はアメリカ軍政時代または朝鮮時代のものを探しています。迫間房太郎の研究家釜山大学金東哲ともお目にかかりいろいろと尋ねましたが、そうした写真は未だ見たことがないとのことでした。近日中にアメリカ大使館の文化部を近日中に訪ねるつもりにしています。
貴殿は他にも迫間房太郎関係の写真をお持ちとのことです。東莱の迫間邸の写真をお持ちではありませんか。もしお持ちでしたらぜひともご協力いただけませんでしょうか。また、なにかよい手だてがあるようでしたらご教示いただきたく存じます。
今は八方塞がりの状態で困惑しています。
何卒、ご高配下さいますよう心よりお願い申し上げます。


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