有難うございます 
ドゥビ 8/24(火) 02:51:35 No.20100828160336
けいさま

ご挨拶が遅れました。はじめまして。どうぞよろしくお願いいたします。いろいろと勉強になるサイトで有難く思っております。

アリランの件ですが、もちろん、全国に数々のアリラン、アリランというセリフが入るものを数えれば百数十種のアリランがあるともされ、歌詞の変種は数千に上るとも言われているようです。そこでいちおう、本調アリランと旧調アリランで区別して申し上げたのですが(この本調と旧調というものも実は結構あいまいな概念のように思います)、繰り返しになって恐縮ですが、現在よく知られている映画『アリラン』の主題歌でもあるアリランは、釜山が故郷であるという点が、失礼ながらどうも理解できません。

羅雲奎がアリランを導入したのは基本は故郷である会寧で聞いていたアリラン(これは普通の旧調アリランでしょう)であり、歌詞を彼がつけた、というのが羅雲奎の言ですが、二三の説はあるようです。どの説をとるにしても釜山が故郷、というのは初耳でどうもぴんとこないのです。

これまた繰り返しになりますが、釜山の朝鮮キネマ株式会社と京城の朝鮮キネマプロダクションは別物です。

前者は1924年に作られた会社で加藤小児科病院や高佐貫長などがお金を出して作ったものです。ここでは1925年までの2年間で4編の映画を作っています。『雲英伝』はご存じでしょうが、羅雲奎がエキストラとしてデビュー作となったものです。

その後、羅雲奎は尹白南プロダクションに行きます。京城の朝鮮キネマプロダクションは淀虎蔵がお金を出し、1926年から2年間で6編の作品を作ります。この中に『アリラン』が含まれているわけです。この会社が2番目に作った作品でした。団成社で封切されているものと存じ上げております。

前者の朝鮮キネマ株式会社と京城の朝鮮キネマプロダクションにはとくにこれといったつながりはなさそうです。あるいは、羅雲奎がアリランの脚本と音楽「アリラン」を構想したのが釜山であるということでしょうか。

また、羅雲奎のアリランは曲は「いろいろあるアリラン」を参考にしたものでもないと思われます。これは開化期からすでに採譜されており、歌詞はいろいろですが、曲そのものはある程度は知られていたものであると思われます。歌詞は不明としかいいようがないと思いますが…(羅雲奎は自分でつけたとしていますが)。

楽隊の紹介、有難うございました。1926年あたりの朝鮮の無声映画で用いられた楽器がどのようなものであったか、一度調べてみたいと思います。てっきりバイオリン演歌につられてしまって、バイオリンを中心に若干の楽器が付加される程度で考えていましたが、すでに民謡や大衆音楽が芽生え始めていたころでもあり、仰る通りもう少しにぎやかな編成だったのかもしれませんね。参考になりました。有難うございます。

1.  けい     8/24(火) 09:17:42 No.20100828160336-1
なるほど、ご指摘ありがとうございます。

高佐貫長が企画した朝鮮キネマと淀虎蔵が出資した朝鮮キネマが
別物になっていたとは知りませんでしたw、社名が同じなので
解散後に上映時期がずれたのだろうと思っていました。

尹白南も釜山の朝鮮キネマで監督に起用され、羅雲奎も釜山で
映画を学んだようですが・・・
会社が別物になってるなら故郷とは言えないかもしれませんね
残念ですが故郷の文字は削除しておきます。

釜山以外の京城の事情など、ほとんど知らないので映画を切り口に
今後 資料を再度調べてみたいと思います。


2.  ドゥビ     8/24(火) 20:18:36 No.20100828160336-2
けい様

お返事をどうも有難うございました。尹白南は、朝鮮キネマ株式会社の第一回の作品であった『海の悲曲』(1924)が興行に失敗することで、会社側で尹白南を招いたとされているようです。第二回の作品『雲英伝』を作ったものと承知しています。羅雲奎もエキストラで出るやつですね。羅雲奎がこの会社に入った動機は1928年『文芸映画』という雑誌に出ているようですが、未見です。

その後、尹白南は会社をやめますが、その原因は高佐が酒の席で女優の李彩田にちょっかいを出し、これに羅雲奎が激怒して高佐と衝突したことがあるようです。このあたりから日本人スタッフと朝鮮人スタッフに間隙が生じるようになり、尹白南が中心・さきがけとなって順次退社、1925年に京城で尹白南プロダクションを作り、羅雲奎らがこれに合流した形になるようです。

ただ、1925年から1926年あたりの朝鮮の映画界の人間の流れは釜山と京城の間で、非常にあわただしいところがあり、どこからどこまでが正しいのか、資料批判をいろいろとしていく必要はあるのだろうなと思っています。難しそうです。

話は変わりますが、すでにこの掲示板でも話題にもなっているのかもしれませんが、1956年の映画『青春双曲線』の冒頭に釜山の全景と、いくつかの道路がちらっと3カ所出てきます。1カ所は旧三中井百貨店の見える通りであることが分かりますが、あと2カ所はどうも特定が難しいです。このあたり、すでにここでは議論済みでしょうか。私はこれまで、京城に関心を持っていたのですが、こちらのサイトを拝見させていただき、これは釜山にも関心を持たねばと大変に興味深く拝見させていただいているところです。興味がつきません。

私が釜山に行ったといえば、昔、88号だったか、大阪から船で釜山に行く便があって、これで何度か旅行した程度です…。仕事でちらっと立ち寄ったことはその後、数回あることはありますが。88号での記憶と言えば、食堂がどうもあまりおいしくなかったこと、それから、お風呂でしょうか。関釜フェリーにも乗ったことがありますが、88号のほうが若干、快適と言えば快適だったような記憶が残っています。

ともあれ、いろいろな貴重な資料、公開してくださり、どうもありがとうございます。とても楽しめますし勉強になります。


3.  けい     8/25(水) 09:39:30 No.20100828160336-3
釜山の街並み観察が高じて近代史探索に入り込んでしまったので
朝鮮キネマも過去の風景の一部としてしか見ていません。
ですから映画の資料はついても詳しい事は知りません。

朝鮮キネマ(釜山)の作品は下記の4つですか?
「籠の中の鳥」からは京城?

題名   監督  脚本封切日    形式
海の秘曲  尹白南 王必烈 1924/11/24 無声
寵姫の恋  尹白南 尹白南 1925/01/17 無声
一神の装い 李慶孫 王必烈 1925/3/28 無声
村の英雄   王必烈 王必烈 1925/10/19 無声

籠の中の鳥 李圭卨津村秀一1926/06/19  無声

私は映画に詳しくないんで1956年の映画『青春双曲線』は
知りません、古い釜山の町並みが見えるなら内容は別に
探して見たいと思いますw
当時の三中井は米軍病院として使われていたはずで、赤十字の
マークが建物の上にあるので目立ちます。
該当部分の写真があったらみせていただけませんか?

88号というとオリンピックにちなんで名がついたフェリーですね
かなり前から釜山をご覧になっているようでうらやましいです。
私は大田万博のころ初めてソウルを見て、釜山は4.5年後です。

資料の公開は時間を作ってがんばっていますが入ってくる数の
方が多いので、積んであるダンボール箱が増えるだけですw

間違った記述があればご指導いただけると幸いです。


4.  ドゥビ     8/25(水) 22:10:29 No.20100828160336-4
けい様

私は映画にあまり詳しくありません。趣味でちょこちょこ見る程度でけい様よりもよほど見ていないのではないかと思います。ただ関心は持っています。

>朝鮮キネマ(釜山)の作品は下記の4つですか?
「籠の中の鳥」からは京城?

題名   監督  脚本封切日    形式
海の秘曲  尹白南 王必烈 1924/11/24 無声
寵姫の恋  尹白南 尹白南 1925/01/17 無声
一神の装い 李慶孫 王必烈 1925/3/28 無声
村の英雄   王必烈 王必烈 1925/10/19 無声

籠の中の鳥 李圭卨津村秀一1926/06/19  無声

ですが、封切の日にからして「寵姫の恋」が韓国語で言われる「雲英伝」に該当するものと思われます。日にちが一致しますね。一作目の「海の秘曲」はおそらく「海の悲曲」ではないでしょうか。ちなみに、私が参考にしているのは韓国の映画関係の本で、日本語表記がはっきりしない場合があります。当時の新聞記事あたりが正確なのでしょうが、ともあれ、私の知る範囲ではそのようになるかと思います。

今確認したところでは「海の秘曲」については、日本映画データベースでは「秘曲」になっていますので、「秘曲」が正しいのかもしれません。要確認です。あと、この映画の監督は李英一の『韓国映画全史』では脚本・監督が王必烈となっています。日本映画データベースでは監督が李慶孫になっています。
http://www.jmdb.ne.jp/1924/az004230.htm

このあたり、よく分かりません。あと、間違いがありました。朝鮮キネマ(釜山)では4編ではなく5編の映画を出していますね。ご提示の映画に「闇光」(1925)を足していただければよろしいかと思います。
http://www.jmdb.ne.jp/1925/ba005000.htm

仰る通り、「籠の中の鳥」以降は京城の朝鮮キネマプロダクションで作られたものです。こちらの朝鮮キネマは2年間で6編の作品を作ったようです。

「籠の中の鳥」は韓国では普通「籠中鳥」とされますが、羅雲奎が助演で出ています。卜恵淑と羅雲奎の主演ともされます。その後ずっとおなじみの女優になる卜恵淑のデビュー作。羅雲奎はこの作品によって脚光を浴びたといいます。これが『アリラン』のシナリオを津守に渡すきっかけにもなったと言われているようです。

http://busan.nekonote.jp/korea/old/fukei/naka/toko/cinema.html

を見せていただきましたが、「七番通小事件」は1934年11月に封切されたもので、羅雲奎の大邱撮影所で制作されたものと『韓国映画全史』はしています。たしかに、この時期には朝鮮キネマはすでにありませんから、朝鮮キネマの作品ではないものと想像します。

あと、「仮面踊り」についてはたしかに沈薫が脚本を書いていますが、沈薫自身、この作品の映画化に挫折したようなことを10年後に書いていますし、『韓国映画全史』によれば鶏林映画社はこの「仮面踊り」に該当すると思われる「タルチュム」を再三やろうとしたものの、結局、意を遂げることはできなかったとあります。これは本当に作品化されたのでしょうか。フィルムのリール数まで記していらっしゃるのでおそらくそれなりの根拠はあるのでしょうが、これはおそらく上映されたということが知られていない映画ではないかと思います。『韓国映画全史』のあとにいろいろ研究がありますので、そのあたりのことをちゃんと書いているものもあるかもしれませんが。また本棚をひっくり返して、いろいろ見てみます。

「角のとれた飴牛」は「プルパジンファンソ」ですが、こういう日本語名で発表されていたのでしょうか。この作品は羅雲奎が朝鮮キネマを抜けた後に作られたもので、朝鮮キネマの最後の作品(つまり6番目の作品)ではないかと思われます。

「青春双曲線」は今でも韓国に売っていないでしょうか。韓国映像資料院から出ています。最初の数コマだけでなく、松島の海水浴場やそこに行くまでのバス、あと名前を度忘れして思い出せないのですが、あの動く橋も、会話の一場面の背景として出てきます。ぜひともご一見されることをお勧めします。私には気づかない、あ、これは、という発見がきっとあるのではないかと思います。

私はこのサイトに出会うまで、プサンに全く関心がありませんでしたので、けい様がご覧になられれば、きっと発見も多い映画かもしれません。


5.  けい     8/27(金) 09:33:20 No.20100828160336-5

「青春双曲線」はDVDで販売されているようなので来月 釜山に行くとき買ってみたいと思います。
http://www.yes24.com/24/goods/2306565

朝鮮キネマの作品紹介ありがとうございます。掲示板で流すには
もったいないので頁を作り、朝鮮キネマの頁からりんくで見れる
ようにしたいと思います。明日には出来ていると思うのでご覧に
なって修正する箇所があればお知らせ下さい。

「寵姫の恋」=「雲英伝」なのでしょうか?
釜山に住んでいる映画研究家の「洪永普vさんと話をしたとき話題に
出たのですが、私は両方の資料を見てないので返事ができませんでした;
数年前の事で調べておきますと返事してそのままなので教えて
いただけると嬉しいです。
http://busan.nekonote.jp/korea/book/eiga/index.html


6.  ドゥビ     8/28(土) 10:41:12 No.20100828160336-6
>「寵姫の恋」=「雲英伝」なのでしょうか?

公開された日にちが1925年1月17日で一致していること、朝鮮キネマ株式会社の作品であること、尹白南によるものであること、雲英伝の内容がまさに「寵姫の恋」という言葉で要約できるような内容であることから、ほぼ間違いなく同じ作品であると思います。

李英一『韓国映画全史』によれば、興行はあまり思わしくなかったようです。団成社で封切、赤字だったとあります。映画史に関する書籍は何冊か出ていますが、李栄一『韓国映画全史』は中でも一番資料的にしっかりしたものであると思います。おおむね、この本が基本・土台になって、いろいろな映画史関連の本が書かれているような印象があります。いい本だと思いますので、ぜひともご一読をお勧めいたします。ただ、旧版ではなく、改訂版を手に入れるようにするのがよいかと思います。


7.  けい     8/28(土) 16:03:36 No.20100828160336-7
情報ありがとうございます。
李栄一『韓国映画全史』ですね 覚えておきます。


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