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李鴻章と下関条約

(馬関条約)

山口県の下関は私の住んでいる福岡市の近くなので、
週末を利用して韓国・釜山と縁の深い下関市を訪ねてみました。

下関

今回のテーマは日清戦争の終戦交渉で清国の
全権大使として来日した「李鴻章」です。

最初の画像は李鴻章が日本滞在中に宿泊所と
して使った「引接寺(いんじょうじ)」です。

雨でしたが 暑いよりは良いかもしれません。

ここから会談の場所である「春帆楼」まで通って
いたのです。
下関

李鴻章が通った道というので名前が代わって
「李鴻章道」になりました。

背景が低地になっている事が分かると思います。
日清戦争当時は下は海岸でした。

現在は埋め立てられて痕跡はありません。
下関

この細い道が李鴻章道です。

説明がないと まったく分かりません。
下関

小道の突当りに大きな建物があります。
これが日清戦争講和記念館です。

記念館の中央に講和会議の席が保存されています。

入館料は無料です。
午前9時〜午後5時まで年中無休
下関

日清戦争講和記念館の説明文です。
内容の説明は省きます。

講和会議から宿舎に戻る途中 日本人の暴漢が
李鴻章を狙撃し、幸いにも負傷しただけ命には
影響がなかったのですが 日本政府関係者は慌て
交渉は不利になり、難航が予想されたので日本は
大幅譲歩し、李鴻章に有利な休戦条件になりました。
下関

ここで決まった事は下記です。

1.清国の朝鮮独立の承認
2.遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲
3.賠償金、2億両の支払
4.新通商条約の締結と最恵国待遇を認める
5.沙市・重慶・蘇州・杭州の開市・開港

遼東半島の割譲は条約締結後にドイツ・ロシア・フランスに
よる 三国干渉で放棄
下関

椅子の横には座った人物の名前が表示され
ています。

この大き目の椅子に李鴻章は座ったようです。
下関

会談の様子のパネルがあったので撮っておきました。


下関

当時の絵葉書でみる会談場所になった
明治のころの春帆楼です。
下関

日清戦争講和記念館の玄関から見た 現在の
春帆楼の建物です。
高級料亭として営業中で、下関名物の 河豚料理を
食べる事ができます。

ひとりの近距離旅行なので 高級料理には気が
向きません。
中を一回り見学してパンフだけもらって帰る事に
しました。


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