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相島(あいのしま)
福岡県粕屋郡新宮町の沖合いに周囲が約6kmの相島があります。
江戸時代福岡藩は朝鮮通信使の接待を相島で行いました。
福岡の玄関となった相島の様子を訪ねてみました。
JR福工大駅前にある新宮町の地図です。
相島の形や位置関係が分かります。(2013/08撮影)
JR福工大駅前から新宮港まで「相らんど線」の
バス時刻表。価格は100円の固定なので気軽なドライブを
楽しむ事が出来そうです。(2013/08撮影)
バスの内部
(2013/08撮影)
新宮港にある渡船時刻表
(2013/08撮影)
乗船キップは自販機で買います。
(2013/08撮影)
約15分で到着する短い船旅です。
(2013/08撮影)
上陸したところ、かき氷のノボリが風にゆれ
夏を感じます。(2013/08撮影)
港の側にある食堂です。
(2013/08撮影)
海鮮チャンポン(680円)が人気
幸にも伝統の祭「ドンドンカン祭」の
日なので大漁旗やノボリが並んでいます。(2013/08撮影)
昭和6年当事の島の様子
(2013/08撮影)
現在はミキモトパールの真珠養殖の
浮きが海面に広がっています。(2013/08撮影)
島の北側に向かいます。
(2013/08撮影)
島の北西海岸は数100基の石積古墳が並び、
古墳時代の島の様子が推測できます。(2013/08撮影)
古墳には赤い印の付いた棒が刺さり
番号が付けられています。(2013/08撮影)
古墳群のある場所の沖には穴の空いた
大岩があり神秘性を感じます。(2013/08撮影)
島の中央西側は崖で展望が広がります。
2005年の福岡西方沖地震で崖崩れが起き
下に降りる事ができなくなりました。それまでは海岸にある穴観音に参拝し
海岸の石を拾い、山の上まで持っていくと
海難を避ける縁起物であったようです。(2013/08撮影)
島で一番高い場所(海抜77m)に遠見番所の
石垣が あり、そこに役人が常駐して異国船や
密貿易を監視していたようです。(2013/08撮影)
遠見番所石垣の側には灯台が立っています。
(2013/08撮影)
島を一周し、島の資料が展示している
神宮寺に付きました。(2013/08撮影)
門の脇に並んでいる地蔵様の間に
猫が寝ていました。山の上にある観音堂から神輿が降ります。
「ドンドンカン祭」は朝 神宮寺にある神輿を
島で一番新しい船に乗せて湾内を3周し、観音堂に
移動、午後に寺に戻ります。(2013/08撮影)
ノボリと正装した神宮寺の住職を先頭に
神輿が進みます。(2013/08撮影)
鐘と太鼓の音に沿道の住民が出てきて
ノボリや神輿に触れ参拝し、ご飯を1口分
貰います。(2013/08撮影)
子供達がご飯を貰う姿が可愛く、将来の
島の祭りの主役になる姿が想像できます。島の歴史に詳しい長老は高等小学校の時
抽選で神輿やノボリを持ったと話してくれました。
(2013/08撮影)
朝鮮通信使の上陸のために作られた
石造りの桟橋(先波止)(2013/08撮影)
桟橋(先波止)の先端は大きな石が
積まれて居ます。
ここから朝鮮通信使は船を下りた
ようです。(2013/08撮影)
現在の渡船が泊まる桟橋(前波止)
(2013/08撮影)
桟橋を拡大します。
石積の部分は昔の桟橋。
福岡藩や島の人たちはここを利用(2013/08撮影)
明治時代になってできた「新波止」
(2013/08撮影)
遭難碑
遭難碑の下に私の住んでいる香椎(旧香椎村)の
石工の名前がありました。(2013/08撮影)
島は猫に愛情のある人が多いようです。
(2013/08撮影)
昔の相島の様子。若宮神社が目立ちます。
(2013/08撮影)
神宮寺に保管されている、朝鮮征伐で
太閤からもらった鉄ヤカン(2013/08撮影)
朝鮮通信使の宿泊場所の跡地
石碑が建ち、周りには無窮花が植えられています。宿泊用の建物の材料は現在の福岡市西公園
付近にあった倉庫に保管され、朝鮮通信使が
来日する連絡があると建設されたようです。(2013/08撮影)
絵図左が朝鮮通信使の接待用建物
(2013/08撮影)
若宮神社
(2013/08撮影)
朝鮮通信使の接待に利用された井戸
(若宮神社境内)(2013/08撮影)
神社の中には奉納された絵馬が並ぶ
明治の頃の相島の様子が分かります。(2013/08撮影)
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