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「二宮忠八」の顕彰碑


ソウルの京城元町の丘陵 に「合理飛行機発祥の地」と称する碑が在るらしいのです。

こ れは日本の航空の先駆者の一人である「二宮忠八」の顕彰碑に 間違いないのですが現状を確認できません。
ここに設置した根拠は忠八がそこで軍務に服した際、飛行器の将来性についての 上申書を上げたからというものです。

もしご存知の方、もしくはソウル訪問予定の方で捜してみよ うという方が居られればお願いします。

   参考サイト http://www.asahi-net.or.jp/~dt9k-iwmt/rekisi/kindai/tuusi/hosoku2.htm

財団法人日本航空協会 文化情報室
  〒105-0004
  港区新橋1-18-1航空会館6F
URL:http://www.aero.or.jp/  


私の書いた返事です。

京城府元町といえば元町小学校が真ん中にあって現在の ソウル龍山区の元暁路と孝昌洞になります。

元町小学校を挟んで小さな丘が東西2個ありました。
東には水道の貯水施設、西側には麓に西本願寺がありました。
どちらかの丘にあったのだろうと推測できます。

下図のグーグルアースに当時の地名・丘の様子を書き込みました。
これで現在の様子がだいたい分かります。

西側の小さな丘は完全に消えて住宅になっています。
東側は一部残っていますが開発が進んでいる様子が わかります。
塔が残ってるか可能性は小さいようです。



元町小学校の現在の名前は南ジョン初等校(ジョンの漢字は不明)
少年時代を京城で過ごされたASさまからレポートがありました。

二宮忠八の碑は、はっきりとは記憶して いませんが、私が通っていた小学校では、
彼にゆかりのある(?)場所にしばしば遠足に 行きました。

ライト兄弟より、二宮忠八のほうが 飛行機を作った?乗った?のは先だと、毎度先生から 聞かされました。

飛行機と飛ばした場所の地名が 「孝昌」だったことは、今でもっきり記憶しています。

70年前のことですから。 公園のようなところで、小型の飛行機の実験?が できるような広場がありました。
碑があったかどうかは 覚えていません。


私の書いた返事です。

孝昌公園というのが現在あります。独立運動家の金九の像などが 建てられていると観光ガイドにあります。

そこなら 小型機の発着は可能な広さがあります。 遠足などで集まるにも良さそうです。

しかし そこは元町ですか?公園の手前までが元町だと思っていました。
京城のことはあまり調べていないので よくわかりません。
調べて見たいと思います。


ASさまの返事です

「二宮忠八」の顕彰碑があった、またあるとすれば、 孝昌公園以外には考えられません。

残念ながら、私の記憶ははっきりしておりません。 二宮忠八が、韓国のために何かしたという話は ありませんから、過去にあっても、現在あるとは 考えられません。

金九の像は、戦後建てられたものでしょう。 戦前では、絶対に考えられません。金九は禁句でした。

終戦の翌日、京電の電車の車体の前面に 大統領金九と大きく書いてあったのは、 覚えています。

手元にあるのは、JTBのマップガイド「ソウル」 ですが、孝昌公園、孝昌運動場は書いてありますが、 この地図では元町小学校の後身の学校は見当たりません。

二宮忠八の碑を壊して、その後に金九の像を建てた、 とは全く考えられなくもありません。

なお、正式な名称ではありませんが、元町方面を 旧龍山、漢江通り方面を、新龍山と呼んでいました。 地下鉄4号線に新龍山という駅があります。

この駅の南約400メートルのところに、京電の 新龍山という停留所がありました。

この地図では、鉄道幼稚園があったところが漢江初校、 鉄道病院が中央大學付属龍山病院、鉄道局の 従業員養成所(旧鉄道学校)が龍山工高校と なっているように思われます。


私の返信です。

昭和12年の孝昌園付近の拡大地図です。

記念碑の記号があればと思って探したのですが・・・・
墓地の記号などはありますが 記念碑の地図記号はないので場所の
特定はできませんでした。残念です


日本航空協会のKさまから返事がありました。

早速、サイトを拝見いたしました。結論からすると碑の設置されていたのは孝昌公園で、既に撤去されたようですね。

そして、私は謝らなければなりません。私が碑が存在した拠り所の参考として記したサイト「朝鮮の民間航空」ですが、その内容の肝心な部分は誤っており、その点の指摘が至りませんでした。つまり二宮忠八は飛行機開発の上申書を、日清戦争で赴任していた京城で作成したにすぎないなのですが、「朝鮮の民間航空」の作者は碑の存在を伝聞で知り完全に誤解して、さもここで試験飛行が行われたかのように記述してしまいました。二宮忠八が自ら考案した模型飛行機の試験飛行を行ったのは四国の丸亀です。

AS様には申し訳ありません。

したがって碑の周囲の地形は飛行とは無関係です。かつて在ったこの碑は後世に混乱を招いたようです。


京城飛行場さまから 情報を頂きました。 投稿日:2008/11/09

「二宮忠八」の顕彰碑の場所は「考昌公立小学校西方」であるという資料を見つけましたので、紹介したいと思います。
昭和15年に発行された「朝鮮運送株式会社十年史」という本です(ゆまに書房から復刻版が出ています)。
該当する箇所は以下の通りです。

二宮調剤手の功績は其の後久しく顧みられなかったが、内外に於ける目覚しい航空事業の発展は遂に同氏を想起せしめ昭和六年有志の奔走遂に功を奏し、考昌公立小学校西方の地に記念碑を建て、同年六月三十日除幕式を挙行した。(ゆまに書房版501ページ)

考昌公立小学校の場所は分かりませんでしたが、終戦直後に米軍が作成した地図(http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/korea_city_plans/txu-oclc-6618626.jpg)を見たところ、善隣商業学校の北側に"Grade school"があるのを確認しました。もしかしたらそこが考昌公立小学なのかも知れません。そうだとしたら、その西側は孝昌園なので、ASさまのレポートとも合致します。

また同書には次のような記述もあります。

明治二十七・八年の日清戦争に際し、我が大島旅団は京城府錦町の孝昌園に旅団司令部を設置したが、同旅団の一等調剤手二宮忠八氏は飛行機を設計して参謀長長岡外史中佐(後の長岡中将)に進言した。(ゆまに書房版501ページ)

このような経緯からしても、顕彰碑が孝昌園にあった可能性は高いと考えます。


日本航空協会のKさまから返事がありました。

ご連絡ありがとうございます。お蔭さまで二宮忠八顕彰碑の位置はほぼ特定できたと思います。

京城飛行場さま、ASさまに厚く御礼申し上げます。

すぐに現地を訪れてみたいのですが、残念ながら私の現況では予定はたちません。
それでも充分に満足しています。

インターネットに感謝します。


                          締め

ソウルに出かける機会があれば当時の様子を想像しながら孝昌公園を散歩してみたいと思います。

地図に文字を入れたり、メールの文章を一部編集しています。ミスの際の責任はサイト管理者にあります。


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