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ウスリー鉄道
(烏蘇利鐵道)1860年 ロシア帝国は太平洋側の沿海洲を清国との北京条約で領土に 編入すると
ロシア皇帝のアレキサンドル3世は鉄道建設計画を始めました。明治24年(1891)モスクワとウラジオストックの両端から工事を初め、 皇太子の ニコライ2世が
日本など 各地を歴訪しながら起工式に出席するためウラジオストクに軍艦で向かいました。明治30年(1897)ウラジオストクからハバ
ロフ スクまでのウスリー鉄道が開通し、
延長工事にはいりました。ハバロフスクからシベリア鐵道のチタ
までは大河のアムール河やそれの支流
ウスリー河とそれの支流が入り組んで
脆弱な地盤が多く難工事が続きました。それで建設の主力を近道の東清鉄道
建設に 移りました。ウスリー鉄道と東清鉄道の分岐点の町が
ウスリースクです。1935年から1937年の間の都市名は革命家の
名前から「ボロシーロフ」になった。
ウスリー鐵道の基点、ウラジオストック
(浦塩斯徳)停車場です。
大正5年(1916)にシベリア鉄道がハバロフスク
まで繋がり、ウスリー鉄道はシベリア鉄道の一部に
なりました。日露戦争寫真画報(口絵2巻)より
ウラジオストック市街のウスリー鉄道の
踏み切り日露戦争寫真画報(口絵2巻)より
ウスリー停車場(烏蘇利)は東清鉄道との 分岐駅です。
日露戦争寫真画報(口絵2巻)より
イマン駅はアムール河の河口付近の駅で
河川交通との荷受拠点です。日露戦争寫真画報(口絵2巻)より
一番河停車場の場所は不明
ハバロフスクの近くだと思われます。日露戦争寫真画報(口絵2巻)より
ニコリスク駅
ウスリー駅から東清鉄道に入りロシア領内
国境付近の都市です。日本陸軍のシベリア出兵時の拠点になった
ことでも知られています日露戦争寫真画報(口絵2巻)より
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