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南満洲鉄道株式会社(満鉄)

南満洲鉄道路線図

昭和11年の満洲鉄道路線図です。
(クリックで拡大)

黒線:ロシア・支那所有鉄道
青線:満州国有満鐵委託線
赤:朝鮮総督府鉄道(朝鮮地区)

赤線が南満州鐵道会社線です。
連京線(701.4km)
大連-新京間

安奉線(260.2km)
安東-奉天間

撫順線(48.2km)
運河-撫順間

營口線(22.4km)
大口橋-營口間

旅順線(50.8km)
周水子-旅順間
アジア号

写真は奉天駅を出発する満鉄の最新機関車
「あじあ」の姿

「あじあ」は昭和9年(1934)から昭和18年(1943)
まで一番長い路線である連京線を運行した特急
列車です。朝9時に大連を出て午後5時に新京に
到着していました。

同区間の急行は「はと」。 時刻表

釜山から北京までの国際列車は昭和13年開業の
「大陸」と昭和14年開業の「興亜」がありました。

満鉄ができると後藤新平(ごとう しんぺい)は初代総裁と
して満洲に渡り、満鉄創業のため働き、基礎を作りました。

満鉄が短期間に整備されたのも彼の人材を育てる能力
が発揮されたからと言われています。


満鉄本社 満鉄沿革
明治28年(1895) 日清戦争後の下関条約で遼東半島(関東州)を清国から日本に割譲することが

決まると、ロシア・ドイツ・フランスの3国はそれを承認できないとして日本に返還を要求
明治29年(1896) ロシアは清国と満洲に 東清鉄道建設を締結
明治30年(1897) 東清鉄道建設開始、ロシアは宣教師殺害を口実に膠洲湾を占領
明治31年(1898) ロシアは清国と「旅順港・大連湾租借に関する条約」を結び遼東半島を
25年間租借し、 東清鉄道南部支線(ハルピン-旅順)の敷設権を得る
ドイツは99年契約で膠洲湾租借と山東省の鉄道布設権を清国と調印
明治32年(1899) イギリスは清国と大連を自由港とする契約、威海衛と劉公島を25年租借
香港の対岸の九龍地区の租借を得る
明治33年(1900) 義和団の乱、ロシアは鉄道保護を名目に満洲全域に出兵
明治34年(1901) 東清鉄道南部支線完成
明治35年(1902) 日英同盟締結
明治37年(1904) 日露戦争
明治38年(1905) ロシアは講和条約で長春(新京)以南の東清鉄道を日本に譲渡
明治39年(1906) 旅順に関東都督府設立。南満洲鉄道(満鉄)東京本社設立
明治40年(1907) 満鉄本社を大連に移転
大正6年(1917) 朝鮮総督府から朝鮮地域の鉄道経営委託(満鉄京城管理局)
大正14年(1925) 朝鮮総督府に朝鮮地域の鉄道経営返還
昭和7年(1932) 満洲国建国
昭和9年(1934) 連京線に特急「あじあ」運行
昭和10年(1935) ハルピンまで特急「あじあ」を延長運行
昭和13年(1938) 釜山から北京までの国際列車「大陸」開業
昭和14年(1939) 釜山から北京までの国際列車「興亜」開業
昭和16年(1940) 日米開戦
昭和18年(1943)  「あじあ」運休
昭和19年(1944)  「大陸」「興亜」運休
昭和20年(1945) 敗戦で日本人帰国 満鉄清算開始


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